日が登り始めた朝方、
妻の発狂する声で
僕は目が覚めた・・・
何が起こってるか
まったく理解できず、
とにかく1階へ急いで降りた。
1階へ降りると、
妻が暴れて家の中の
飾り物などを投げ散らかし、
髪の毛を自分で
くしゃくしゃにしながら
叫び散らかしている姿。
「死にたい!」
「こんな家、
もう居たくない!」
「誰か私を殺して!!!」
次男と長女が、
その場所におり、
次男は泣き叫んでいる。
そして、
3歳になる長女は
その場に立ち尽くし、
何かに怯えるような
こわばった顔をしていた。
事態を呑み込めず、
とっさに妻に聞いた。
「どうした!!!」
すると妻は、
僕に土下座をしながら
「お願い…親権渡すから離婚して…」
その瞬間、
頭が真っ白になり、
心臓が破裂するほど
大きな音を立てていました。
そして、
6年前の出来事が、
走馬灯のように駆け巡りました。
僕は言葉を
発することができなくなり、
その場で、
立ちつくすことしか
できなくなりました。
その間妻は、
泣きながら自分の服や
化粧品などをまとめて、
キャリーバッグに
詰め込んでいました。
何も考えることが
できませんでした。
声をかけることも、
声を発することも…
そして妻は、
子ども達を残して
家から出ていきました。
・
・
・
・
・
6年前の僕は、
人生の岐路に
立たされていました。
当時は、
2人の子どもを養う
パパでサラリーマン。
毎日、朝6時半には家を出て、
帰ってくるのは夜21時ころでした。
ただ業務をこなし、
帰ってくるだけの毎日。
特別頑張るわけでもなく、
言われたことをこなす日々。
そのくせ、
給料が安いだの
客がうざいなど、
ただただ文句を垂れるだけ。
給料に関しては、
本当に安月給でした。
残業しなければ、
月の手取りは20万を切るほど。
お金はすべて、
妻が管理しお小遣い制。
僕のお小遣いは月2万円。
月のはじめに
現金で受け取って、
そのお金でやりくり。
昼飯は、
おにぎりを持参していたので
あまりかからなかったが、
月2回飲みに行ったら、
秒でなくなってしまう。
タバコも
吸っていたのでなおさら。
でも、
我慢するしかないので、
欲求を抑えていました。
僕の性格上、
家族の前で会社の不満や愚痴を
漏らすことは一切なかったです。
なぜなら、
僕の父がそういう性格で、
その背中を見て育ったから。
父は営業職でした。
僕も営業職なので、
どれだけストレスが
溜まっていたかも分かる。
不平、不満など
ぶちまけたい事も
たくさんあったと思う。
それにも関わらず、
文句の一つも言わず、
黙々と仕事して帰ってくる。
会社員として
働き出してから、
父の家族を思う気持ちに
憧れを抱くようになりました。
「カッケェな」と
思うようになりました。
だから僕も、
父と同じようにしようと。
でも、
僕は弱かった。
不平不満を
爆発させる吐口がなく、
同僚と飲みに行く機会が増えた。
今なら分かりますが、
なんの意味をなさない
ただ文句を垂れるだけのクソ飲み会。
でも、
当時はそれで
発散するしかなかった。
しかしながら、
僕のお小遣いは2万しかない。
当然ながら、
足りなくなってくる。
安月給だった事もあり、
妻に追加のお小遣いを
お願いすることもできませんでした。
「お金キツいなぁ…」
なんて考えてた、
ある会社の帰り道でした。
たまたま、
マルハンの看板が
目に入ってきました。
「そうや。
パチンコで飲み代稼ごう」
軽い気持ちで入ったが、
たまたま5万勝ってしまった。
お小遣い2ヶ月分。
その日の帰りは
気分がノリノリで、
妻にハーゲンダッツを
買って帰ったことを思い出します。
バカだったので、
その一回で楽勝だと思ってしまった。
軽い気持ちで入ったのに、
そこからのめり込んでしまった。
飲み代がなくなったらパチ屋へ行く。
そんな毎日を
過ごしていました。
ただ、
パチプロでもないので、
プラスになることなんてない。
むしろ、
勝ったとしても
感情面では負債です。
増やすはずが、
お小遣いを使い果たす
ようになっていました。
この時には、
完全にギャンブル依存症でした。
寝てても
パチンコの音が耳元で流れてる。
ただ、お金がない。
妻に対して、
「お小遣い無くなったからくれ」
とも言えない。
そしてあろう事か、
たまたま目に入った
プロミスに吸い込まれていきました。
「その一線だけは
超えてはいけない…」
と、
頭では理解していました。
しかし、
止められなかった。
これが
依存症の怖さだと、
今なら分かります。
借入限度額50万で契約し、
最初は3万を引き出しました。
その3万を持ってパチ屋へ。
「3万くらい稼げたら、
借りた3万返してチャラにしよう」
そんな生クリームみたいな
甘ったるい気持ちでした。
案の定、
3万はあっという間に
消えてなくなりました。
そして、
さらに追加で3万借りる。
それを延々と繰り返し、
気づいた時には限度額の
50万に到達していました。
その頃には、
感覚がバカになってました。
「まぁいつか
勝って返せるだろう」
と。
いつしかパチ屋に行く目的が、
飲み代を稼ぐことではなく
借金を返すことになっていました。
借金を返すために
上限をアップさせ100万へ。
結局100万も、
あっという間になくなりました。
消費者金融の怖いところは、
返しても返しても元本が減らないことです。
なけなしのお小遣いで、
利息だけ返していく日々が続きました。
給料も増えないので、
当然お小遣いも増えません。
抜け出すことができない
大きな沼にハマっていました。
でも心のどこかでは、
「まぁなんとかなるだろう」
とも、
思っていました。
ちょうどその頃、
新築の話が妻から出ました。
妻の実家の隣の借家が、
売りに出されるという話でした。
ボロボロで、
今にも潰れそうな借家。
そこの地主さんが
売りに出すという話を
妻の母が風の噂で聞いたとのこと。
妻からすれば、
実家の隣に住めるほど
好都合なことはありません。
気づいた時には
妻はすでに地主さんに
アプローチしていました。
ただ、
僕は分かっていました。
プロミスでお金借りると、
住宅ローンの審査に通らないことを。
新築の話が出た時に、
すでに調べていました。
分かってはいたけど、
言い出せませんでした。
今すぐ話すべきなのも
当たり前に分かっていました。
その間も、
住宅展示場に行ったり
完成内覧会に行ったりと、
どんどんマイホームへの
気持ちが高ぶってくる妻を
間近で見ていました。
家でも毎日、
新築の話ばかり。
(もうやめてくれ…)
僕の心臓は、
今にも張り裂けそうでした。
しかし、
話はどんどん
進んでいきました。
そして、
妻が悩んで悩んで
選んだのはオシャレな工務店でした。
店舗を中心に手掛ける
デザイナーがいる工務店。
外壁材に、
ガルバリウム鋼板を使った
モダンな家を得意としてました。
心ここに在らずでしたが、
そんな状態でも、
興奮するくらいでした。
ついに、
打ち合わせが始まりました。
間取りや仕様に、
ワクワクしながら
妻の夢は膨らんでいきました。
ただ、
僕にとっては
地獄でしかなかったです。
妻のテンションが
上がっていくたびに、
心が過呼吸になっていきました。
「言わないと言わないと…」
心の中では、
ずっと思っていました。
でも結局言い出せず、
そのままローン仮審査申し込みへ。
結果が出るまでの2週間、
家に居ても心ここに在らずでした。
常に上の空状態。
ぼ〜っとして、
飯も喉を通らなかったです。
「なんか痩せた?」
なんて、
妻に言われるくらい
徐々に体重落ちていきました。
(あと2週間後には、
人生終わってしまうかもしれない…)
それくらい妻は、
楽しみにしてたし
結婚した時からの夢でした。
でもやはり、
最後まで言えませんでした。
言った後を想像しただけで、
吐きそうな気持ちになりました。
でも時は、
止まってはくれません。
ついに、その時を
迎えてしまいました。
工務店から
連絡が入りました。
「お伝えすることがあるので
奥様と事務所に来れますか?」
それを受けて、
家族みんなで事務所へ。
何を思ったか、
担当の声のトーンから、
「もしかしたら
もしかするかも… 」
なんて淡い期待を
持ってしまいました。
そして、
6人席の長椅子に家族で座る。
僕は真ん中。
妻は僕の左隣に座って
満面の笑みを浮かべながら
かなりのハイテンションでした。
出されたあったかいお茶を飲みながら、
心拍数が上がっていくのが分かりました。
そして、
担当が席につきました。
「お伝えすることがあります」
顔の表情、
声のトーンから
一瞬で悟りました。
(終わった…)
そして、
ついにその時が来ました。
「住宅ローン仮審査、
通りませんでした」
「何か心当たりありますか?」
手汗脇汗、
汗という汗が
体中から滝のように流れてきました。
そこからの記憶は、
ほとんどありません。
帰ってから妻に
正直に話しました。
妻の目は真っ赤に染まり、
口元を噛みしめながら泣いていました。
裏切られたと、
僕は言われました。
1週間、口を聞いてもらえず、
仕事から帰ると机に離婚届けが
置いてありました。
置き手紙もありました。
「これ書いて、
さっさと地元に帰ってくれ」
「もう同じ空間に
いることが苦痛でしかない」
「ゆるさないと」
家の中は、
地獄絵図のように
なっていました。
とにかく今は、
出るしかないと思い、
必要最低限のものを持って
家を出ることにしました。
家に帰れないので、
車中泊や漫喫で寝泊まりしてた。
「もしかしたら、
一生家族と会えないかもしれない」
「会わせてくれないかもしれない」
スマホで子ども達の写真を
見るたびに涙が止まらなかったです。
スーパーで買った安い飯を
食いながら涙が溢れてきました。
心臓が張り裂けそうでした。
ここではじめて、
自分はとんでもない
過ちを犯してしまったと思いました。
家族がいることが、
当たり前じゃないんだと。
当たり前が、
どれだけ幸せな
ことだったかを気付かされました。
もし、このまま家族と
離れて子ども達に会えない
くらいなら死んだ方がマシだ。
本気でそう思いました。
でも、
ここで諦めたら
それこそ一生後悔することになる。
だから、
今できることは全力でやろう。
どうなっても
後悔ないようにしよう。
そのように
感じるようになりました。
そこからは、
ありとあらゆることをして、
何とか帰れるよう必死になって行動しました。
人生かかってる
からなんでもできる。
普段なら絶対やらないで
あろうことも間髪入れずやりまくった。
それが妻に伝わったのか、
帰ってこいと言われました。
そして、
帰って来たことに
気づいた子ども達。
まだ小さかったけど、
目を輝かせながら僕の胸に
飛び込んできました。
長男は号泣していました。
僕も我慢できず、
抱きしめながら涙が溢れました。
「ごめんなぁ…」
「寂しい思いさせたなぁ…」
そう、長男に伝えました。
なぜか、
妻も泣いていました。
あとで聞いたけど、
僕が居ないのは仕事で
遠くに行ってるからと
子ども達には伝えてたそうです。
僕はまた、
家族と一緒に
過ごすことができる
ようになりました。
この瞬間、
僕の幸福度は
最高潮に達していました。
本当に幸せでした。
僕が副業を
スタートさせたのは
ちょうどこの頃。
お金が原因で
家族を崩壊させてしまった。
だから、
お金さえあれば
幸せになれる。
お金がないから
不幸になる。
と本気で、
そう思っていました。
幸せになるのは、
何としても金を稼ぐ必要がある。
お金を稼げれば、
子どもにも好きなことを
させてあげられるし、
妻に好きなものもを
買ってあげられる。
お金だけが、
人生を豊かにしてくれる。
そう思い、
よりを戻した後に
副業をスタートさせました。
副業禁止の会社でしたが、
そんなものは関係ありませんでした。
とにかく、
何がなんでも稼ぐ。
その一心でした。
一番最初に
取り組んだのは、
店舗せどりでした。
仕事終わりに、
ドンキや家電屋によって
仕入れ作業を行い、
帰ってきてから、
梱包や発送をしていました。
多少は稼げましたが、
薄利多売で疲弊しましたね。笑
おまけに、
労働収益で狭い部屋に
荷物で溢れることもよくない。
そう思い、
挫折し諦めました。
他にも、
ポイ活やメルカリ物販、
ブログやクラウドワークス。
などなど、
とにかく稼げそうな
ものに手を出していきました。
そこで得られた収益は、
多少のお小遣い程度。
正直、
やけくそでした。
今なら分かりますが、
本当に脳死でやってたと思います。
稼げなくて
当然の行動を取ってました。
そんな中、
出会ったのが、
Xマネタイズでした。
副業をスタートさせて、
2年10ヶ月も結果が出なかった僕が、
X運用2年で1,500万以上稼ぐことができた。
この辺の詳細は、
下の記事に書いています。
そして、本業超えを
19ヶ月連続で達成し、
月100万超えを6ヶ月継続。
当時の僕は、
自信に満ち溢れていました。
ありがたいことに
こんな何者でもない
ただのサラリーマンでも、
「凄いですね!!」
とか、
「アフィ神!!」
など、
言われるよう
なっていました。
嬉しかったです。
何者でもない人間が、
“何者かになった”気がしました。
今思えば、
それがまずかったです。
自分は凄い人間
でないといけない
と、
感じるようにも
なっていました。
この頃から、
僕は数字の魔力に
囚われていました。
承認欲求の魔物に
囚われていました。
目に見えて分かる
売上数字がすべて。
しかし、
売上が徐々に
下がっていきました。
下がっていく
売上数字を見つめながら、
焦りと不安に
恐怖を感じていました。
「自分の存在価値が
なくなっていく…」
また、
何もでもない
人間になっていく…。
売上が下がれば、
僕はオワコン化する。
僕はドン底から
這い上がるために
必死に行動してきました。
それに、
共感して同じように
行動してくれた方々がいるのに、
数字だけが
自分の価値だと勘違いした。
売上数字が、
低迷していくと同時に、
周りの目を死ぬほど
気するようになっていました。
どんどん自信が
なくなっていく自分がいました。
思ったことも呟けない。
心からの本音を出せない。
今の立場が、
なくなっていくのを
急に恐れるようになりました。
たまたま上手く行っただけで、
本当の実力がないのではと
感じるようになっていきました。
それを知られると、
恥ずかしいだのダサいだの…
とにかく、
クソみたいな
謎のプライドが
邪魔をしていました。
プライドなんて微塵もなく、
必死に前だけを向いて走ってきた
あの時の気持ちは、
キレイさっぱり
なくなっていました。
今思うと、ドン底から
ここまで持ち直したことに、
満足してしまったのかもしれません。
心のどこかでは、
月290万で満足していた
自分がいたと思います。
僕の今の器では、
溢れてしまうほど
だったのだと思います。
もとのポンコツだった
自分に返っていくのが分かりました。
僕の自信なんてのは、
数字で固められた
中身スカスカのハリボテ
だと、
気付かされました。
ただ、
止まるわけには
いかないとも感じていたので、
とにかく実力を
つけるために知識投資。
そう思い、
コンテンツを買い漁る。
明らかに今
必要でないものも、
狂ったように買いました。
そして、
情報過多になり、
何が正解で何が不正解なのか
まったく分からなくなっていました。
運用2年も経って、
ノウハウコレクター化です。
笑えますよね。
情けない話です。
数字も下がるし、
何をすべきかも分からない。
他人の目が、
死ぬほど気になる。
発信するにも
自信がなくなっていきました。
仮想敵批判が、
ダイレクトに突き刺さる。
すべての発信が
自分に向けて言われてる。
そう感じて、
発信するのが
怖くなっていきました。
発信に苦痛を
感じるようになっていました。
タイムラインを
見るのも嫌になってました。
失敗をするのが
怖くて仕方ありませんでした。
どんどんどんどん、
しんどくなっていきました。
こんな自分は、
人に価値を提供できる
人間ではないと感じる
ようになっていきました。
フロントでは、
これと逆のことを
発信していました。
頭では理解しています。
ですがそこに、
自分の信念や意思など
存在していませんでした。
言動と心の乖離で、
疲弊していきました。
究極の他人軸です。
ただただ、
逃げて消えたい…
自分基準で
動いていたのに、
いつの間にか
他人基準で動いてる自分。
『他人がどうこうより、
自分がやりたいからやる』
こう思ってた気持ちも
いつの間にかなくなり、
『自分の価値は、
他人からの評価で
決まってしまう』
そう勘違い
するようになりました。
誤った思い込みは、
人間をカスにしていく…
たしかに、
情報発信をしてきて
できることは増えました。
妻の夢だった
マイホームも建てた。
子ども達を
公文に通わせたり、
次男を体操教室に行かせたり。
子どもがやりたいと
言ったことはやらせて
あげられるようになった。
妻の負担を減らすため、
派遣の仕事を辞めてもらい、
僕から給料を払うようにもした。
週末には外食し、
家族と飲んだり食ったり、
念願だった、
沖縄旅行にも
みんなで行くこともできた。
今まで出来なかったことが
できるようになりました。
たしかに、
嬉しかったです。
ですが、
頭の片隅には
常に不安と恐怖がありました。
僕が副業を始めた理由は、
お金を稼いで
家族を幸せにする。
そのためだけに、
これまでやってきたはずでした。
なのに、
いつの間にか
目的が変わってた。
認められたい。
有名になりたい。
多少の承認欲求が
満たされてからは、
保身に走るようになりました。
大した立場でもないのに、
築きあげたものが壊れていく
ことが怖くて仕方なかった。
売上数字が
減っていくことに
恐怖を覚えました。
他人からの見られ方ばかりに、
支配されるようになっていきました。
そして、
本来の目的や
自分を見失いました。
心の中にある、
とあるモヤモヤと違和感。
こんなメンタル状態の
期間が3ヶ月ほど続いた時に、
襲ってきた違うモヤモヤと違和感。
僕は、お金さえ稼げれば、
幸せになれると本気で思っていました。
そのために
走ってきたつもり。
たしかに、
できることは増えた。
それなのに、
何かがおかしい。
「もしかして、
副業始める前と
何も変わっていない?」
幸福度の観点から見ると、
何も変わっていないのではないか?
いやしかし、
今こんな状態だから
そう感じているだけだ。
現実から目を
背けているだけだ。
逃げるな馬鹿野郎。
頭の中で、
自問自答しながら
考えをグルグル駆け巡らせてました。
ずっと、
考えてました。
お金がドカッと
口座に入ってきた瞬間。
「うん、最高に気持ちいい」
通帳の口座に
お金が増えていく時間。
「うん、最高に気持ちいい」
でも何か違う。
長男と一緒に
少年野球に行って、
練習している瞬間。
少年野球の
子どもたちに
やいやい言われたり、
父兄にいじられたり
している瞬間。
子どもたちと
どうでもいい
しょうもないことで
バカ笑いしてる瞬間。
妻が機嫌よく、
子どもたちと接してる瞬間。
「あれ?この時の方が、
ふつーに幸せじゃね?」
なんて漠然と、
感じるようになっていました。
「お金があれば
幸せになれる!!」
本気でそう思っていた
僕からしたら強烈な違和感。
自分の成長を
妨げているメンタル的な問題。
お金じゃ得られない幸福。
こんなことを
考えているうちに、
スピや潜在意識、量子力学と
いった分野に興味が湧いてきました。
気づいたら、
自然と調べてたし
毎日耳から学んでいた。
この時は、
別に誰にも言ってません。
そんな中で、
1通のDMが僕の
Xに飛んできました。
お相手は、
やちやちさんでした。
やちさんとは、
X上の絡みはほぼ
ありませんでした。
ただ、
僕が書いた無料noteに対して、
お金を払っていただいたことがあります。
その節は、
ありがとうございました。
でも、
それだけです。
なんで僕に、
なんの前触れもなくDMを
送ってきたのか正直謎でした。
ここでは、
DMの内容は伏せますが、
とにかく不思議でした。
そして、
ひょんなことから
zoomをすることに。
zoomをする中で、
この人から学んでみたい。
と、
自然と感じていました。
はい、
コンサル逆オファーです。笑
やちやちさんは、
ゴリゴリスピに
精通されてる方でした。
最初は、
知らなかったです。
三次元のルールや
零の法則、潜在意識の書き換え。
などなど、
死ぬほど興味があり、
調べていた分野に関しての
スペシャリストでした。
そして、
メルマガの
スペシャリスト。
ちょうど、
メルマガを始めて
もっと学びたいと
思っていたタイミングでした。
僕が学びたいことを
吸収することができる。
そう感じました。
何回かセッションする中で、
気付かされたことがありました。
それは、
『すでに自分は幸福である』
ということ。
やちさんに
こう言われました。
「人は失ったものが
返ってきた時に
幸せを感じる」
僕は思い出した。
幸せの絶頂だった
6年目前のあの頃を。
離婚の危機を脱し、
再び家族全員で暮らす
ことができたあの瞬間を。
こうやって、
家族で一緒に過ごせること。
当たり前の日常を
過ごすことができてることが、
すでに幸福だったと。
完全に忘れていました。
目先のお金に
囚われていました。
僕の中の、
モヤモヤしたものが
スッと取れていくのが
なんとなく分かりました。
そしてこれは、
僕が必死に稼いで、
メンタルダウンして気付けたこと。
体験しないと
理解できなかったことだとも
教えていただきました。
本当にその通りだと。
腑に落ちまくりました。
「いや〜これは、
マジで発信で言いたい」
てか、
ポストしてかな。
また別の日のセッションで、
やちさんから質問されました。
「奥様を毎日、
笑わせていますか?」
僕は思いました。
「えっそれ、
なんか関係あるの?」
そんなこと、
考えたこともないし、
なんなら意識もしていない。
実際どうかと
考えた時に僕は、
答えられませんでした。
そして、
いただいた宿題が、
『毎日10回、
奥さんを笑わせる』
でした。
「自分の一番近しい人を
幸せにできない人が他人を
幸せにすることはできない」
セッション中、
やちさんに言われた言葉。
(たしかにそうだよな…)
(えっでも、
もう家族は幸せでしょ)
(だって、
すでに幸福だと
気付いたんだから)
そのように感じ、
この時は宿題の意図を
深くまで理解できなかった。
正直、
小っ恥ずかしくて、
上手くできなかったです。
次のセッションで
いただいた宿題は、
『1週間作業はせず、
奥様と毎日プシューと
缶ビール開けて一緒にお酒を飲む』
僕は正直、
意味が分かりませんでした。
僕の中では、
子どもたちが寝た後に
作業をして結果出すことが、
家族のためだと思っていましたから。
(てか、作業したい…)
まぁでも、
その通りにしようと
次に日に缶ビールを買って
妻と飲むことに。
ですが、
特に弾んだ会話を
するわけでもなく
TVを見ているくらい。
その時に、
ふと思いました。
(そういえば、
子育てと副業ばかりで、
ゆっくり会話してなかったかも…)
言葉はなくても、
行動と結果で分かってくれる。
行動と結果が
ともなっていれば、
満足してくれるだろう。
僕はわりと、
そんな感じでした。
だから、
言われるわけでもなく
家事もやってたつもりですし、
子どもたちとも関わっていた。
自分で言うのも
恥ずかしいですが、
良き父親だと思っていました。
それなのに…
この3日後に、
妻が家を出ていきました。
それからの光景は、
記事冒頭部分の通りです。
何をやらかしたのか
まったく検討がつかない。
理解ができない。
自分の中の
幸福度は上がってた
はずなのにどうして…
妻が家を出てからは、
子どもたち3人のワンオペ育児。
頭が真っ白になり、
何も考えたくない状態でも
やることはやらないと子どもたちが困る。
朝起きてから
4人分の朝食の準備。
小3になる長男の
持ち物をチェックして送り出す。
そして、
下2人の保育園の準備。
保育園の朝夕送り迎え。
本業の予定も至急、
キャンセルや変更しました。
帰ってきてからは、
晩御飯の支度をしながら、
家事をすべて1人でこなす。
その間も、
子どもたちは、
「お母さんどこ?」
と、僕に聞いてくる。
「ちょっと、
遠くに仕事
行ってるだけやから」
心臓が、
張り裂けそうでした。
こんな日が、
しばらく続きました。
正直、
身も心も疲弊
しきっていました。
(こんなに大変なのか…)
(妻がいないと
何もできないじゃないか…)
僕は、今までの
行動や気持ちを振り返りました。
妻が話しかけてきたとき。
子どもたちと
遊んでいるとき。
家族と一緒に
いる時間なのに、
「副業、副業、副業」
「作業、作業、作業」
「X、X、X」
この言葉が、
常に頭にチラついている。
心の底から、
目の前の出来事を
楽しめていない自分。
今思えば、
家庭内の雰囲気は
良くなかったと思います。
子どもたちが
寝てから作業するが
妻が同じ空間にいるのに、
会話はありませんでした。
なんなら、
イヤホンをつけて
横で作業していました。
本当に最低な旦那です。
妻を蔑ろに
してるにも関わらず、
妻が子どもたちに
対して強い言葉で叱ったとき、
「もうちょい
言い方ってのがあるやろ」
「なんでダメなのかを
説明してやらんと分からんやん」
なんて、
偉そうに言ったり
していました。
そんな自分なのに
今の生活があるのは、
自分が頑張った
おかげだと思っていました。
家事をやるにも
どこかやってあげている
感が出ていたかもしれません。
なんなら、
夜遅くまで作業してるのに
家事までやってる
自分は偉いくらいに思っていました。
それなのに、
1人で勝手に
幸福度が上がってる。
そんなもんは、
ただのマスターベーション。
旦那失格です。
こんな期間が
3ヶ月も続けば、
妻もおかしくはなります。
そんな妻の変化にも
気づかない自分。
自分で自分を
ぶん殴りたくなりました。
ここで初めて、
やちさんに言われた言葉の
意味を理解することができました。
もっとも
近しい人を
幸せにすること。
毎日、妻に感謝すること。
そして、
自分が幸福であること。
やちさんには、
僕の今の状況が
見えてたのかもしれません。
だから、
あのような
宿題をいただいた。
でも僕は、
その意図に
気づくことができなかった。
副業ができるのも
本業に行けるのも
長男と少年野球に行けるのも
何をするのにも
妻がいるから自分はやれる。
それなのに、
やってあげていると
勘違いしていた。
感謝の気持ちを込めて、
ありがとうを伝えるという
当たり前のことすらできなかった。
本当に情けないかぎりです。
僕が今できることは、
妻の帰りを待つことと、
妻が帰ってきたら
まずは今までのことを
しっかりと謝って、
感謝を言葉で伝えること。
帰ってきたら
一旦副業のことは忘れて、
改めて全力で
真剣に妻と子ども達と
向き合う期間をつくる。
そう決めました。
Xを休んでた
理由はこれです。
何も言わずに、
ストップしたので、
心配された方も
いたかもしれません。
本当に申し訳ございませんでした。
帰ってきた妻。
夜中の12時過ぎに
帰ってきました。
その時には、
妻も少し落ち着いて様子。
ただ少し、
疲れてる様子でしたので、
僕は「おかえり」とだけ
伝えてその日は寝ることに。
次の日からは、
自分で決めたことを
徹底して続けていきました。
すると数日経って、
少し変化があらわれました。
「俺がいない間に部屋を
片付けれくれてありがとう」
と伝えると、
「はいね」
と返事を一言。
当たり前なのかも
しれないですが、
僕は死ぬほど嬉しかったです。
あたらめて、
当たり前の感謝が
足りてなかったんだと感じました。
日に日に笑顔が
戻っていく妻を見て、
幸せな気分になりました。
「あ…こうやって家族全員が
毎日笑って過ごせることこそが
本当に意味で幸福なんだなぁ…」
気づきを与えてくれた
妻には本当に感謝しています。
今思えば、
ずっと妻に助けられたし
気づきを与え成長させてもらってた。
当時、不幸と
思っていた出来事には
すべてに意味がありました。
成長するために、
ありがたい出来事だったと
思えるようになりました。
素晴らしい妻と、
結婚できたことを感謝する毎日です。
本当にありがとう。
そして改めて、
こんな僕ですが
これからもよろしくです。
実は、家族と向き合う
時間とは別にもう1つだけ
続けてたことがあります。
それは、
『ジャーナリング』
聞いたことがある人も
いあるかもしれないですね。
いわゆる日記。
当然、
ただの日記では
ないですが、
これもやちさんから、
教えていただいたこと。
毎日寝る前に
ノートにその日の
出来事に対する感情、
達成する目標などを
書き綴っています。
かれこれ1ヶ月
ほど続けていますが、
少しつづ変化を
感じているところ。
「あれ、なんか
似たようなこと
ばかり書いてる気がする」
「もしかして、
この分野に興味ある?」
「自分のやりたい事、
理念ってこうかも…」
自分の中にある
メタ無意識が言葉に
なってあらわれてくる感覚。
本来の自分が
分かっていくようで
不思議な感覚です。
とにかく、
シャーペンか鉛筆で書く
習慣のパワーを感じています。
ちなみに、
ボールペンじゃダメです。
やちさんにも
言われました。
僕なりに
考察してみたんですが、
鉛筆やシャーペンには
“芯”があります。
芯という言葉には、
「物事の中心」という意味があります。
つまり、
人間の核である、
「心」や「精神」を
あらわしていると。
そう考えると、
鉛筆やシャーペンで
書くべき理由が分かります。
こう解釈したら、
ボールペン使えんなと。
ちなみに、
何のために副業で
お金を稼ぐ必要があるのか
に、フォーカスして
ジャーナリングをすると、
おもしろいことが分かりました。
もともと
副業する目的は、
お金を稼いで
家族を幸せにする。
でした。
今思えば、
かなり漠然としてますね。
結果として、
「お金を稼ぐ=家族の幸せ」
ではないと
気づくことができた。
そして、
ジャーナリングを
通して僕が気付いたこと。
僕がお金を稼いで
幸せだと感じた瞬間。
それは、
誰かの笑顔の
ためにお金を使う瞬間
でした。
この瞬間は、
喜んでお金を払ってるし、
なんならお金を出したいと思ってる。
それを想像するだけでも、
ワクワクする感覚があります。
感覚的には、
小学生の頃によくやった
かくれんぼで隠れている時。
ドキドキして
モゾモゾしますよね?
おしっこ
いきたくなりますよね?
あの感覚です。
預金残高が
増えることでもなく、
高級品を
買うことでもなく、
誰かの笑顔が見たくて
お金を使うことでした。
そこには当然、
見返りなんて求めていません。
だって、
使いたいんだから。
子ども達に、
欲しいものを
買ってあげる瞬間。
子どもたちの
習い事の月謝を
払ってる瞬間。
妻の欲しいものを
買ってあげる瞬間。
少年野球の
子ども達全員に
アイスを買ってあげた瞬間。
この瞬間の
笑顔が見れると
幸せな気持ちになります。
笑顔が見れると思うと、
めちゃくちゃワクワクする。
過去を振り返っても、
幼少期から人を笑わすのが好きでした。
大げさかも
しれないですが、
僕がこの世にいる使命は、
『笑顔で幸せの輪を広げる』
これなんじゃないかと
漠然と感じるようになりました。
これが自分の理念
なんじゃないかと。
そこには当然、
お金も必要になってくる。
お金以外の
幸せに気づく必要もある。
まだまだ
ふわっとしていますが、
そんな感覚です。
そして、
何のために
稼ぐ必要があるのか。
この目的を
改めてはっきりすることが、
死ぬほど重要だと分かった。
そして、
気づきました。
何のために稼ぐのか?
でなはく、
何のために
お金を使うのか。
これこそ、
僕が辿り着いた
思考の変革です。
お金は使ってこそ価値が出る。
使わなければ、
それこそただの紙切れです。
だったら、
価値あるもの使いたい。
この思考の方が、
圧倒的に目的が明確になります。
ただおそらく
ほとんどの方は、
漠然としているのではと思います。
何の目的のために使うのか、
具体的に考えてみてください。
その目的を
達成するためには
いくら必要なのか。
落とし込んで
みてください。
パッとは
出てこないかも
しれません。
僕もなかなか
出てきませんでした。
何となく
お金が欲しいでは、
お金は入っても消えていきます。
僕は、
漠然としていたせいで
稼いだお金が随分なくなりました。
目的がはっきり
していなかったので、
用途不明金が大量にあったと思う。
でも今は、
少し違います。
お金を使う時、
このお金は何の目的が
あって払うのか。
これを頭で
イメージするように
しています。
これは、
「無意識を鍛える」
という本の中の
会社を一部上場企業
までにしたある経営者が、
長年続けている
ことだそうです。
これを参考にしました。
こうすると、
目的とは違った
無駄金は使いずらくなります。
ちなみに、
お金を払うこと以外の
普段の行動にも取り入れてます。
何のために、
今その行動を取っているのか。
まだまだ
意識しないと
忘れてしまいますが、
無意識でできるよう、
取り組んでやっています。
少し脱線しましたが、
何の目的でお金を使うのか。
僕は笑顔が見たい。
だから、
あらためて
目標を立てました。
やりたいことは
どんどん追加していく予定
ですが現段階の目標はこれ↓
- 何を差し置いても家族の時間を優先する
- 家族が好きなものや好きなことを値段を気にせず買えるようにして、毎日家族が笑顔になってる姿を見る
- 妻に毎月5万のプレゼントを送って、妻が笑顔になってる姿を見る
- 少年野球の子どもたちや父兄のためにマイクロバスを買って、父兄の遠征時の負担を減らし、マイクロバス内での子どもたちが笑顔になってる姿を見る
- 家族でみんなで海外旅行へ行き、そこでのワクワクドキドキを味わってる家族の笑顔を見る
- 少年野球の子どもたちと父兄全員を焼肉へ連れて行って、みんなでワイワイして笑顔になってる姿を見る
- 脱サラして朝夕の保育園送り迎えをし、午前中に仕事を終わらし、長男が小学校から帰ってきたら球場に練習に行き、キャッチボールしながら笑顔になってる姿を見る。そして、たまに昼から妻とジムに行く
- 毎月、家族で東京ドームへプロ野球観戦に行き、子どもたちが興奮してはしゃいでる姿を見る
そのために、
2年以内に毎月自動で
300万以上の収益を安定させる。
僕は自分の中の、
お金の価値順位を逆転させました。
お金を稼いで◯◯する。
でなはくて、
〇〇するために
お金を稼いで使う。
これらを毎日、
ノートに書いて、
潜在意識に植え付けています。
余談ですが、
目標を達成できない要因の1つは、
目標を忘れてしまうことらしい。
ということで、
みんな目標を毎日書きましょう。
最後に。
僕はこれまで、
かなりの遠回りを
してきました。
目標もなく、
ただ何となく生きる日々
↓
離婚の危機でドン底
↓
復活で幸福
↓
副業で2年10ヶ月、
結果が出ず挫折
↓
転機が訪れ、
2年で1,500万
↓
自己否定で、
メンタルダウン
↓
また離婚の危機
↓
今ここ
後悔もたくさん
してきました。
何で自分は
こうなってしまうんだと
思うこともありました。
でも、
今はこう思います。
この遠回りも、
僕にとっては必要なことだった。
本当に大切なものは
何かを気づくために必要だった。
本当の自分に
気づくために必要だった。
すべての出来事には、
意味があったことだと。
後悔も失敗も、
今ではありがたい体験
として感謝しています。
成長させて
いただいてると
感じることができています。
今、辛いと
感じてる人も
いるかと思います。
「うまくいかないなぁ」
「なんで自分はこうなんだ」
「辛い、しんどい」
ですが、
それもすべてあなたが
成長するために今必要なことです。
人間、
超えられない
試練は与えられません。
とにかく、
がむしゃらに
もがいてみてください。
必ず見えてくる
ものが出てきます。
僕もまだまだ道半ばです。
もっと大変なことも
あるかと思います。
ですが、
これから起こる
すべての出来事には意味がある。
その出来事に
感謝しながら、
これからも、
前を向いて進んでいきます。
そして、
本当の意味で
みんなが笑顔になれば
いいなと思っています。
そんな人が、
増えたら嬉しいなと
思っています。
『Smile happiness』
今しっくりきてる
僕の理念になります。
以上、最後まで
読んでいただき
ありがとうございました。
HN:うえぶー
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